小学校中学年

不登校の発達障害児(小3)との家庭での向き合い方【不登校解消までの母親の実体験】

小学校中学年

私は、発達障害を持つ小学生の息子を持っています。名前はレイと言い、自閉症スペクトラムやADHD、学習障害など、複数の発達特性を持っています。

そんな息子ですが、小学3年生の頃、発達障害の2次障害によって不登校になってしまいました。

この記事では、息子が不登校から復帰するまでの間に、親子で取り組んでみたことを体験談として紹介してみたいと思います。

心身ともに限界へ。不登校を選ぶことに・・・

学習障害を持つレイは、読み書き計算にとてつもない労力を必要とします。

レイは、他の子なら簡単にできる読み書きや計算が自分にはできないことを自覚しており、できるようになりたいという気持ちが強いレイは、学校で必死に授業を受けて、家では抜け殻のようになっていました。

小学3年生になると勉強も難しくなったり、支援クラスの生徒や先生の人数も増えて環境が変わってしまったため、レイの精神面が不安でしたが、それでもレイは「登校したくない!」などと弱音を吐くことがありませんでした。

母親としては、弱音を吐かないことで逆に不安を一人で抱え込んでいるのではないかと心配するようになりました。

3年生の夏休みに入る1週間前、私がクラスの様子を見に行った時のことです。教室を見てみると、休み時間に机に突っ伏しているレイの姿がありました。

一応、声をかけたら起き、「大丈夫」との返事がありましたが、その突っ伏していた様子に、ひょっとしたら「私の心配は的中しているのかもしれない・・・」と思いました。

それは私自身、学生の頃に多忙極まって燃え尽き、パニック症候群を発症したことがあったから、ピンときたのかもしれません。

そうすると案の定、その後の授業も参加できず、給食ものどを通らなかったそうで、学校から迎えに来るよう電話が入り、引き取りに行きました。

家に帰ると、ほっとしたようで、食欲がないどころか、大人2人前の量を平らげました。

こんなにお腹がすいていたのに食べられなかったとは、不登校の症例の典型のようだなと感じました。

ご飯を食べ終わると、レイは、「(勉強が)わからないと、イライラするんだよね。そのイライラを我慢すると、ものすごく疲れるんだ…」「(3年生になって)勉強が多すぎるよ」と、ぽつりぽつりと話してくれました。

私は、以前から頻繁に学校に出向いて日々レイの様子を見てきました。なので、ここまで物凄く頑張ってきたこともちゃんと知っています。なので、これ以上頑張れとはとても言えませんでした。

「そりゃそうだよね。そうだと思うわ」と答えました。

そこで、

自身の経験から、心の回復には時間が必要だということを知っていたことと、

また数年前に教育機会確保法という法律が施行され、不登校の子の目的が「学校復帰」ではなく「自立直結」へと変わったことを知っていたことから、

まずは積極的に不登校を選択しようと思いました。そして、最短ルートで心を回復させることを第一の目標にすることにしました。

私からレイには、

「疲れちゃったかな。お母さんは毎日学校で見ていたけど、レイすごく頑張っていたものね。勉強は、自分を強くするためにとても大切なものだけど、体を壊してまでやることないし、健康より大切なものなんて、何もないよ。どうせもうすぐ夏休みだし、少し休もうか」と提案しました。

こうして、息子を休ませることにしました。夏休み前の最終日だけは本人の希望で登校し、表向きは問題なく夏休みに突入します。

本人は、「学校は好きだし、きっとたまたま具合が悪かっただけだと思う」と言うようになりましたが、私は「そうではなく、きっとすぐに本人が落ち込む時がくるだろう」と考えていました。

そして、私の予想どおり、夏休み明け(2学期)から二週間ほどで息子は再び不登校になりました。

レイが学校に行けなくなったことで自信を失わないよう、私はレイにホームスクーリングという選択肢があることを教え、「多様な学び」というホームスクーラーのための缶バッチを取り寄せてプレゼントしました。

参考URL多様な学びプロジェクト

そして、「学校に行っていたらできないことを、たくさんしよう!」と遊びに連れ出すことにしました。

心を回復させるために、親子でやってみたこと

私は不登校の根本的な原因は「頑張りすぎたレイの心の疲れ」にあると考えていたので、とにかく息子を遊ばせて、心を回復させることにしました。

遊びの中から学ぶ

カラオケや、動物園、トランポリン、映画、など、レイが興味を持ちそうなところへどんどん連れて行きました。

ただの遊びのようですが、私としては、全ての遊びにねらいがありました。

例えば、カラオケはデイジー教科書よりも字幕が細やかで、音と文字を一致させるのにとても良いと思いました。予想外だったのは、思ったよりもレイの歌が上手だったこと。そして、親子共に大声を出してストレス発散できたことでした。

動物園は行くたびに新たなら発見がありました。

皆が知っているような動物の殆どが、何らかのレベルの絶滅危惧種であることや、環境問題も学ぶことができました。またここでも思いがけず、親子で自然や動物たちにとても癒されました。

また、レイからの希望で、大型トランポリンジムへ連れて行ったときには、開始5分で前宙ができ、新たな才能を知ることができました。

新しい居場所を見つける

「不登校」で検索しても、我が家が頼れそうな情報は得られなかったのですが、「ホームスクール」という言葉で検索すると、学校に疲れ果てた親子の居場所になりそうな情報や、ホームスクーリングをしているご家庭の実体験談がたくさん見つかりました。

そのホームスクーラーの集いの場は、学校へ行かなくとも友達と触れ合える貴重な場所になりました。

何よりも、どこかに所属できているという欲求が満たされ、安心感や自己肯定感につながることだと思いました。

親の私も、同じ境遇の方に出会えて、話ができ、本当に助けていただきました。

また、以前から利用している放課後等デイサービスにも、大変お世話になっています。

いつでも突然でも、快く受け入れてもらえる居場所は、いくつあってもありがたいなと思います。

学校に状況を理解してもらう

レイは私とは元気そうに過ごすものの、学校へ行くとみるみるうちに心が消耗していくので、本人が前のめりで参加したいと言うイベント時にのみ、登校することにしました。

校長と面談をした時に、校長から「レイくんが経験したことを担任がタイムリーに知れていたら、話がしやすくなり関係性を作りやすくなるかもしれないから、メモ書き程度で情報を共有してくれませんか?」と提案していただきました。

それを受けて、どうせならしっかりと理解してもらおうと思い、活動内容を2ヶ月単位でWordで6枚くらいにまとめて提出しました。

活動内容をカレンダー仕様で記入し、さらに繋がっている団体名と担当者名と利用状況をまとめ、

最後に母子で遊んだことを内容ごとに、目当てと結果、今後の目標という風にまとめて書きました。

すると、たまに登校した時に、「レイくん、歌がうまいんだって?!すごいなあ!」などと、レイが話しやすいような声かけをしてもらえるようになりました。

また、書面として提出することで、同じことを何度も聞かれることもなくなりましたし、こちらとしても説明不足感も薄くなりました。

居場所や放課後等デイサービスなど、関わっている団体が複数あることを知ってもらえることで、先生方も私たちが孤立していないことがわかり、安心してもらえたようです。

わが家はかなりスムーズなケースだと思いますが、やはり学校との関係が親子にとって安心できることは、不登校家庭にとってはとても大切なことだと思います。

今後の目標

このように遊びを通して心の回復を狙い、私の見る限りおよそ半年ほどで、病的な心の消耗期間は脱することができたように思います。

以前のように、クラスメイトとはしゃいで楽しく帰るのが惜しい様子が見られるまでに回復しました。

けれども、学校という環境がそもそもレイには合わないようで、自立心を育てることを考えた結果、最近ではフリースクールを検討しています。

親として、子の自立を考えると悩みが尽きないのですが、大変なことこそ楽しんで、一緒に成長していきたいと思います。

〜〜この記事を書いた人〜〜
teru.ko

学習障害をこじらせて不登校の長男とホームスクーリングをしています。今のところ困り感のない次男もおります。ライターとして、まだまだ知られていない学習障害や不登校などの記事を発信して参りたいと思います。

teru.koをフォローする
なやみんこまりん

コメント

タイトルとURLをコピーしました