私には現在、小学校3年生の長男よしお(仮名)がいます。
よしおは年少の頃、自閉症スペクトラムのアスペルガー症候群と診断されました。
そして小学校に入ると、学校からの勧めで発達診断を再度受け、
診断名にADHD(注意欠如・多動症)が追加されました。
幼少時代、よしおは「物」にばかり夢中で「人」に心を開くことができず、母親として非常に苦悩した経験があります。
ここでは、保育園の年少時代、よしおの関心を「物」から「人」へ移すことができた体験談を、当時のよしおの様子や私がやってみたことも紹介しながら、お話しようと思います。
アスペルガー症候群と診断される前(2歳児クラス)
診断を受ける前、2歳児クラスのあたりから、保育園の先生に疑問を持たれ始めたのが、
この発達障害と付き合っていくきっかけでした。
この頃から、他の子とは少し違った次のような傾向が見られたのです。
意味のある言葉の発話が遅い(宇宙語のような独り言をずっと続けていました)
お友達をコミュニケーションの相手として認識しておらず、興味が物(おもちゃや本、自分の気に入った物)にしかない
よしおが遊んでいるもので一緒に遊ぼうと、お友達がやってきても、無視して(本人は無視しているつもりはないかもしれないですが)一人で遊びに没頭します。
そして、その子がおもちゃを取り上げようとすると、パニックを起こすのです。
年少になると友達とのトラブルが増える
年少になり、少しずつ言葉もでてくるようになると、お友達とのトラブルがより顕著になっていきました。
年少といえば、みんなで遊ぶ時のルールやマナーを少しずつ学んでいく年頃ですが、よしおはこれにうまく順応することができませんでした。
そんな自分の欲求を抑えて、規則に従うということがうまくできません。
加えて、集団ゲームでチームで勝つ喜び・負ける悔しさを味わい、それを受け入れるということが、周りが見えていないよしおにとっては苦痛だったようです。
まるで、長い筒で世界を覗いているように、自分の興味のある「物」しか見えていないよしお。まだクラスの子の名前すら会話にでてきませんでした。
周囲からの冷たい目に苦しむ
一方、クラスのお友達の方は、年少にもなると自分の意思を主張するようになります。
そして、ルールを守れない・我慢ができないよしおをみんなが責めるような雰囲気になっていきました。
毎日のようにトラブルを起こしては注意され、泣きじゃくり、時にはクラスにいられなくなることもありました。
そんな時は、先生の部屋で他の先生とお話しをたり、大好きな読書をしたりして気持ちを落ち着かせます。そして気持ちが落ち着いたらまたクラスに戻る・・・、そんな日々が続きました。
よしおを迎えに行けば、担任の先生からは、その日のよしおの様子報告という名のダメ出しを聞かされる日々。
さらに、よしおのトラブル話は、他の子の保護者にも広がり、よしおのママである私自身も他のママ達から次第に距離を置かれていくのを感じました。
療育センターで発達障害(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)の診断
この頃と時期を同じくして、療育センターで発達診断を受けました。
そこで、自閉症スペクトラムの一つであるアスペルガー症候群という診断が下されます。
覚悟はしていたはずなのに、「普通の子じゃないんだ」というショックと「一生治らない」という絶望で、母親として最も苦しんだ時期でした。
「お母さんが悪いわけではないですよ」と担当医師に言われてもどうしても自分自身を責めてしまいます。
一度はどん底まで落ち込みました。この子と一緒に死んでしまいたい、と考えたこともあります。
よしおにはたくさんの人と関わって欲しい
どん底まで落ち込んだ時もありましたが、結局、母子ともに前を向いて行動していくしかありません。
私は、保育園以外でもよしおが積極的に人と関わる機会を増やしてあげようと考えました。荒療治かもしれませんが、人間関係のトライアンドエラーを繰り返す事で経験値を積んでほしいと思ったのです。
まず、月に一度、療育センターで親参加でのグループレッスンを受けることにしました。
集団でのルールやマナーを守ることを、褒めながら育てるというのが趣旨です。
同じ特性の子供たちが集まって、童歌や工作、体を動かすゲームをしたり、一緒におやつを食べたりすることで、指導員の支援を受けながら、人との関わりをよしおに感じてもらいます。
やっている事は、実は保育園とほとんど同じなのですが、始まる前に必ず指導員の方が、「今日はこれとこれをしますよ」というタイムスケジュールをイラスト付で説明してくれます。
これから何をするのか不安やパニックにならないようにするための一工夫です。
同じ悩みを持つママ達との出会い
療育センターでのグループレッスンは、よしおだけではなく、私自身にも貴重な体験となりました。
親参加型なので、同じ悩みをもつ親御さんとの「横のつながり」ができたのです。一人で悩むよりも、悩みを共有できる人がいた方が、心に余裕が生まれます。私自身のメンタルを保つ上で、この横のつながりには大変助けられました。
よしお本人も、叱られたり、責められたりばかりの保育園よりも、同じような事でジレンマを抱えている子といる方が、明らかに安心しているようでした。
最初は、私に言われるがままよくわからずに療育センターに通っていたよしおですが、次第に、療育センターのクラスに参加することが楽しみになり、こんなことを言うようになりました。
よしお「今日は療育センターだから○○君に会えるね!」
私「そうだね、早く行きたいよね」
よしおの口から、お友達の名前がはじめて出てきました。
療育センターでの楽しい経験によって、よしおにも遂に人への興味が芽生えてきたのです。
ついに公園でも友達が・・・!!
このよしおの変化は、療育センター以外の場所でも見られるようになります。
よしおを公園に連れて行った時の話です。今までは「他人に迷惑をかけたら・・・」と心配でなかなか足が向きませんでしたが、子供の実地訓練と思って、少し離れて見守りながら、公園で遊ぶ時のマナーなどを少しずつ伝えることにしました。
「よしお、滑り台を逆走したら、上から滑りたい子はどうする?困るよね?」
「(砂場で、道具を貸してもらった時)こういうとき何ていうんだっけ?」
「じゅんばんこだよ、前に並んでる子が先ね」
すると、「うんわかった!」と返事をしてくれるようになったのです。
とはいえ、数分後には同じ事を繰り返してしまうのですが、それでも、「その都度、私が声をかければよしおが自分勝手な行動をしない」というのは大きな成長です。
よしおに対する他の保護者の警戒感も、よしおが私の言うことを聞いている様子を見ているうちに、和らいでいるようでした。
やがて、よしおはいつも公園で会っていた同い年の男の子と仲良くなることができました。
ちょうど自転車で補助輪を外す練習中であったり、小さな妹がいるなど共通することが多く、好きな遊具も似通っていたので、すぐに意気投合しました。
私とその子のお母さんは、走り回る子供たちを追いかけ回しながら、いろいろな話をしました。
そのお母さんには、「うちの子(よしお)は落ち着きがないから、目が離せないんです。迷惑になるような事がないといいのですが」と先に話していたのですが、そんな私の不安をよそに、よしおは目を輝かせて、その子との遊びに没頭しているのです。
「よしおくん、次は砂場にいって遊ぼうよ!」
「うん、行こう!」
誘われることの喜び、一緒に遊ぶことの楽しさを存分に味わっているよしおがきらきら輝いて見えました。
集団では難しいこともあるけど、一対一なら、こんなに嬉しそうに遊べるんだ・・・!
よしおとその子の出会いに本当に感謝しかありません。
保育園での生活にも大きな変化
療育センターでの活動や公園での楽しい体験が、やがて保育園の生活でも活きてくるようになります。
よしおの中で、自分から積極的にお友達に関わっていこうという気持ちが開花したのです。
相変わらず読書や一人遊びをする時間はありますが、その頻度も減り始め、不器用ながらも遊びのグループに自分から入っていく姿を見ることができるようになりました。
年中に上がると、家での会話でもクラスのお友達の名前が出るようになりました。園での出来事を話す事がなかったよしおが、お友達の名前とともに、園でのエピソードを語るようになったのです。
「〇〇ちゃんと今日はおままごと遊びをしたの。僕は赤ちゃんの役なんだ」
「そうなんだね、〇〇ちゃんと遊べて楽しかったね」
年少の一年間でよしおは大成長を遂げましたが、いつも全てが順調にいくわけではありません。
勝ち負けのある集団ゲームなどでは、参加しても自分のチームが負けそうになると、泣きながら怒って、ゲームそのものをめちゃくちゃにしてしまうこともあります。
本人のペースで前向きな一歩を踏み出せたら、そのたびに一緒に喜び、気持ちを上向きにしてあげる。そうすると、よしおの未熟な部分が少しずつ成長してくることを実感しています。
小学生になった今もまだまだ問題は山積みではありますが、保育園時代の公園でのエピソードを忘れずに、しっかりと息子と向き合っていきたいと思っています。
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